執筆に至るまで

2019年12月31日 (火)

三楽堂さん

https://ootasukemasa22.cocolog-nifty.com/blog/2019/12/post-91005f.html

 

「太田資正さまのお墓にこのお酒をお供えしようと思うのですけど」

そう言うと、「ありがとうございます」と太田酒造のご主人は言ってくださいました。

 

お墓が、片野城祉にあるということは知っていました。

 

太田資正について、早くから発信していた

 

http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/sanraku/sanraku.html

戦国群像ホームページ 太田資正伝

 

「三楽堂」さんという方が書かれていました。

 

この文章を頼りに、

片野城に向かったのです。

 

三楽堂さんは、今どこに。

「太田資正と戦国武州大乱」を最も読んでもらいたい方が、

この三楽堂さんです。

 

というか、三楽堂さんにこの本を書いてもらいたかったです。

 

ご存じの方は教えてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月14日 (土)

太田酒造さん

(執筆に至るまでの経緯について順を追って書いています。)

 

佐和山城のガイドさんがそれほどまでに熱心に言うので、

やはり次の日は、彦根城に行ってみようと思いました。

けれども、雨が降ってきたので、コンビニによりました。

 

するとそこに「道灌」という銘柄のお酒が売られていました。

なんでこんなところ(失礼)に??

 

と思い、はっと思いだしたのです。

滋賀県で、道灌公の御子孫が酒造業を営んでいたということを。

 

道灌公、そして太田資正。

道灌公の御子孫である太田酒造さんは、

同時に太田資正のご子孫でもあるのです。

 

そこで、次の日は草津に行ってみました。

彦根城は行かなかったよ、しまさこにゃん。

 

日曜日でしたので、普段は休みのはずでしたが、

その日は、たまたまお祭りの日で、

太田酒造さんの記念館を拝見することができました。

 

しかし、その記念館を見て、私は悲しくなったのです。

なぜなら、今はどうなのかわかりませんが、

その時、太田資正については、何の掲示もなかったからです。

(自分が気付かなかっただけかもしれませんが)

 

しかし、それでも、御後裔家がこんなに栄えていることを

資正は喜んでいるに違いない。

そうも思いました。

 

そうだ、資正のお墓に行こう、と思ったのです。

そして、どうせなら、この「道灌」のお酒をお供えしよう、と。

 

ご当主が「お供物」と書いてくださいました。

資正も喜ぶだろうと思いました。

ご当主も「ありがとうございます」

と言ってくださいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月13日 (金)

佐和山城と赤備え

佐和山城につくと、

観光ボランティアガイドさんが待っていてくれました。

 

お城に行きなれている方なら、佐和山城など一人で平気なのでしょうが、

実はお城にはそんなに詳しくはなく、また方向音痴なので、お願いしていたのです。

 

ガイドさんはばっちり赤備えで、いきなり、「彦根城はもう行ったの?」

と話してきました。

「いえ」

というと、「じゃあ明日行くんだね」

というのです。

 

彦根城に行く気はなかったので、

言葉を濁していると、

「今日バス乗って帰るんだ。高速バスに」

と言われたので、

 

「京都に泊まってます、新幹線で来ました」

というと、

「じゃあ、行ったほうがいいよせっかく来たのに」

と熱心に勧めてくださいました。

 

聞くと彼は埼玉出身で、U高校の卒業生なのだそうです。

 

ガイドさんは佐和山城のガイドを真剣にしてくれ、

「自説」なども語ってくれました。

が、やはり国宝彦根城を知らせたかったらしく、

話の端々に彦根城が登場します。

それに、彦根城には佐和山城の石垣などが使われているのだそうです。

 

彦根に運ぶ途中で、何らかの理由で置き去りにされた石垣の石がまだ残っていました。

ガイドさんはそれを「残念石」と呼んでいましたが、

自分にとっては「残ってくれてありがとう石」でした。

 

しかし、ガイドさんがそんなに言うので、

やはり次の日は「彦根城に行こう」と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

2019年12月 8日 (日)

佐和山遊園!!

ところがたどり着いたのは、絢爛豪華にして個人の所有である佐和山遊園だったのです。 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%92%8C%E5%B1%B1%E9%81%8A%E5%9C%92

 

今度は、彦根駅前のレンタル自転車を借りて、地図をもらい、

地図を見ながら行ったはずなのですが…。

 

中には入りませんでしたが、そこにいた若い男の方が、

「ここは佐和山遊園です」と教えてくれました。

 

佐和山遊園。

とうとう完成しなかったというテーマパークですが…。

 

私たちの「太田資正と戦国武州大乱」も、ある意味、佐和山遊園のようなものかもしれません。

ただ、3人でやったことと、出版社の方がいたことです。

そのほか助けてくださる方もたくさんいました。

 

たった一人で、莫大な資産をかけて。

心で敬礼しました。

 

「この地図間違ってるよ」と若い男の方は、

正しい道順も教えてくださいました。

 

ありがとう、佐和山遊園。

 

やっぱり三成!!

 

 

時代は、佐和山遊園に追いつこうとしている 

 

 

 

 

2019年12月 3日 (火)

信長さまのお墓詣りがよかったんでしょうの巻 ②

 

電車で安土城に行くには、JR安土駅で降りればいいのです。

けれども、そこは巨大な信長像があるだけで、あとは2軒のレンタル自転車屋さんがあるだけでした。

どうやら、ここで降りる人は、この自転車を借りて安土城に行くのでしょう。

 

そこでレンタル自転車を借りようと思いましたが、

どうも今一つ自転車屋さんの説明してくれる道順が分かりません。

それにこの旅は、一日で前半「安土城」後半「佐和山城」に行くというハードな旅でしたので、

仕方なくタクシーに乗りました。

 

タクシーとは気持ちのいいものです。

 

安土城とは天下人信長さまによって建てられ、初めて大型の天守(天主)を持つなど、豪華絢爛な城でした。

信長さまは山頂の天守で生活し、その家族は本丸付近に、家臣は中腹や城下の屋敷で生活していたとされています。

 

けれども今は石垣が残るだけ。

 

実はこの安土城域全体は、今は摠見寺(そうけんじ)というお寺さんの所有地なのです。

そして摠見寺とは信長さまが自ら定めた菩提寺なのです。

 

いろいろな意見があると思いますが、

安土城こそ、信長さまのすべてだったのでは。

 

そして、どんどん上っていくと二の丸には、

秀吉さまが作った信長さまのお墓もありました。

近づくことはできないのですが、

門の前で、そっと手をあわせました。

 

お墓の上には、天然石が乗っており、

これが「盆山」なのではないか、と言われています。

 

本丸まで登ると、琵琶湖が見えました。

琵琶湖は本当に海のようでした。

天下人となった信長さまは、毎日この風景を見ていたのですね。

 

2年後私は、もといた業務に戻ることができました。

そして、ボーナスで琵琶湖の真珠の付いた指輪を買いました。

水がきれいでないと育たないし、

母貝が育つのに3年、真珠が大きくなるのに3年かかるといいます。

 

帰り道、若い歴女が2人いて、

「佐吉の部屋はないのかな~~」

とか言っていました。

佐吉とは石田三成のことなのでしょうか。

(あるわけないじゃん、と思いながらも)

後半行く予定の「佐和山城」に期待が膨らみます。

 

その日は特別拝観の日だったので、

抹茶もいただきました。

2019年11月26日 (火)

信長さまのお墓詣りがよかったんでしょうの巻

 

何から話したらいいのか。

 

その時私は、ずっと勤めていてこれからもずっとやっていくと思っていたある仕事を

やめることになってしまったのです。

 

そして泣きながら新幹線に乗りました。

 

向かった先は信長のお墓でした。

 

もうすぐ大台にのろううというとき、

仕事を切られたということは。

絶望を思わせました。

 

ああだけど。

 

そして呆然としながら、

ビールを飲んで、安土城を目指したのです。