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2019年11月

2019年11月26日 (火)

信長さまのお墓詣りがよかったんでしょうの巻

 

何から話したらいいのか。

 

その時私は、ずっと勤めていてこれからもずっとやっていくと思っていたある仕事を

やめることになってしまったのです。

 

そして泣きながら新幹線に乗りました。

 

向かった先は信長のお墓でした。

 

もうすぐ大台にのろううというとき、

仕事を切られたということは。

絶望を思わせました。

 

ああだけど。

 

そして呆然としながら、

ビールを飲んで、安土城を目指したのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年11月 8日 (金)

太田資正とは ①

 

太田資正(おおたすけまさ)は1522年、今のさいたま市岩槻区にある岩槻城で生まれました。お父さんは太田資頼(おおたすけより)、おじいさんは太田資家(おおたすけいえ)です。資家は名将太田道灌の甥で養子です。

 

太田資正が生まれたとき、太田家の仕える「扇谷上杉(おうがやつうえすぎ)」家は、存亡の危機にありました。なぜかというと、扇谷上杉家の根拠地である相模を奪った小田原北条(後北条ともいう)が、いよいよ武蔵にまで侵攻してきたからです。やがて、江戸城も河越城も取られてしまいました。

 

扇谷上杉とは、のちに関東管領となる上杉謙信の山内上杉の親戚です。この両上杉、そして鎌倉を追われ古河に追いやられていたため古河公方(公方とは将軍の別称)と呼ばれていた元々の関東管領(ややこしい)足利家は、関東の覇権をめぐって争っていたのですが、小田原北条の侵攻に危機感を抱き、大連合を組んだのでした。

 

「河越合戦」です。連合軍は、河越城を取り戻そうと8万の軍勢で河越城を包囲しました。この戦いが、太田資正の初陣だったといいます。決戦となったのは「夜戦」だったと言われていますが、それは定かではありません。

 

 

 

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